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インストール・グリッチ

3,150 文字 約 7 分

あらすじ

ある男性が最新のVOCALOID初音ミクを購入し、パソコンにインストールしようとする。インストール時のアクシデントでなぜか自分の身体が初音ミクになってしまう。


登場人物の容姿

佐藤 健(さとう けん)
年齢28歳。身長172cm。少し猫背気味のシステムエンジニア。伸び放題の黒髪に、度のきつい銀縁眼鏡をかけている。服装はヨレた灰色のスウェット上下で、万年寝不足の隈が目立つ冴えない風貌。

初音ミク(変身後)
身長158cm、体重42kg。重力を無視して地面まで届く長大な青緑色(ブルーグリーン)のツインテールが特徴。瞳は大きく輝くターコイズブルー。肌は陶磁器のように白く滑らかで、一切の欠点がない。
服装は近未来的な銀色のノースリーブジャケットに、鮮やかなティールグリーンのネクタイ。下半身は幾何学的なプリーツの入ったミニスカートと、ふわりとした素材の黒いニーハイブーツ。腕にはイコライザーが表示されたアームカバーを装着している。人間離れした理想的なプロポーションを持つ。

本文

 待ちに待った瞬間だった。
 佐藤健は震える手で、届いたばかりのパッケージを開封した。最新版『VOCALOID 初音ミク V4X』。バーチャルシンガーとして世界的な人気を誇る彼女の、待望のメジャーアップデート版だ。
「やっと……やっと手に入れたぞ」
 独り言が漏れる。薄暗いワンルームマンションの一室、複数のモニターが放つブルーライトだけが彼の顔を照らしていた。机の上には飲みかけのエナジードリンクとカップ麺の容器が散乱しているが、今の彼にはそんなものは目に入らない。
 健はディスクをトレイにセットし、インストーラーを起動した。画面に現れるプログレスバー。彼にとっては、それは女神降臨へのカウントダウンそのものだった。
「今回はAIアシスト機能付きか。すげぇな、ユーザーの生体バイオリズムに合わせて歌声を変える? どういう仕組みだよ」
 画面上の説明書きを読みながら、健は期待に胸を膨らませる。セットアップウィザードが進み、『専用デバイスを接続してください』という表示が出た。
 特典として付属していた、インターフェース・ユニットだ。USBケーブルでPCと接続し、そこに指を置くことでユーザーの心拍数や体温を読み取るらしい。
「よし、接続……と」
 健がユニットのセンサー部分に指を置いた、その時だった。

『生体認証を開始します。ユーザー:佐藤健。適合率計測中……』

 無機質な合成音声がスピーカーから流れた。
「え? 認証なんてあったっけ?」
 疑問を抱く間もなく、モニターの画面が激しく明滅し始めた。プログレスバーが一気に加速し、100%を突破して異常な数値を刻み始める。
『エラー。エラー。境界線の融解を確認。デジタルとアナログの同期を開始します』
「おい、なんだこれ! キャンセル! キャンセルだ!」
 健は慌ててマウスをクリックしたが、カーソルは動かない。それどころか、指を置いたユニットから強烈な電流のようなものが逆流してきた。
「ぐあぁっ!?」
 指が離れない。まるで強力な磁石で吸い付けられているかのようだ。青白い光がケーブルを伝って走り、ユニットから健の腕へと這い上がってくる。
 視界がホワイトアウトする。
 全身の細胞が沸騰するような熱さ。骨がきしみ、筋肉がねじれるような激痛。
『インストール・プロセス、最終段階。実体化シークエンスへ移行』
 その声を最後に、健の意識は光の中へと溶けていった。

 ***

 意識が戻ったとき、最初に感じたのは強烈な違和感だった。
 世界が、広い。いや、視点が低いのだ。
 健は床に倒れていた。頭が重い。起き上がろうとして手をつくと、視界に入った自分の腕に息を呑んだ。
「な……?」
 そこにあるのは、見慣れた剛毛と血管が浮いた男の腕ではない。
 雪のように白く、驚くほど細い腕。そして、肘から先を覆う黒いアームカバー。手首の部分には、鮮やかなグリーンの光で幾何学模様が明滅している。
 健は恐る恐る自分の顔に手をやった。
 無精髭のジョリジョリとした感触はない。代わりに指先が触れたのは、マシュマロのように柔らかく、吸い付くような滑らかな肌だった。
 眼鏡がないのに、視界は驚くほどクリアだ。部屋の埃の一つ一つまでが、高解像度の映像のように鮮明に見える。
「うそ、だろ……」
 口から出た声は、低くしわがれた男の声ではなかった。
 鈴を転がしたような、高く、澄んだ、そしてどこか電子的な響きを含んだ少女の声。
 健はふらつく足で立ち上がった。足元がおぼつかない。慣れない厚底のブーツと、極端に軽くなった身体のバランスが取れないのだ。
 部屋の隅にある姿見の前まで、よろめきながら歩く。
 そして、鏡の中の「自分」と対面した。

「は、初音……ミク……?」

 そこに立っていたのは、画面の中でしか見たことのない、あの歌姫だった。
 重力など存在しないかのように大きく弧を描く、床まで届く青緑色のツインテール。大きなリボン。近未来的なデザインの銀色のノースリーブジャケット。
 健は夢を見ているのだと思った。だが、頬をつねると確かな痛みが走る。
 鏡の中のミクもまた、同じように頬をつねり、涙目で顔をしかめた。
「これが、俺……?」
 再び発せられた美声に、自らの股間が熱くなるのを感じた。いや、正確には「股間周辺」が熱いのだが、かつてそこにあったはずの突起物の感覚がない。
 健はおそるおそる、短すぎるプリーツスカートの裾に手をやった。
 太ももは眩しいほど白く、引き締まっている。黒いニーハイソックスが食い込む絶対領域の肉感は、フィギュアやイラスト以上のリアルな質感を伴っていた。
 震える指先が、スカートの中へと潜り込む。
 ない。
 男の証が、きれいさっぱり消滅している。代わりに指に触れたのは、滑らかなスリットと、わずかに湿り気を帯びた未開の花弁だった。下着は着けていない。どうやらこの衣装そのものが、身体の一部として生成されているようだ。

 健は混乱と共に、奇妙な高揚感に包まれていた。
 憧れの存在。理想の具現化。それが今、自分自身になっている。
 彼は鏡の前で、自分の新しい身体を確かめるように触り始めた。
 まずは平坦だが形の良い胸。ジャケットの上からでも分かる、慎ましやかな膨らみ。指でなぞると、服越しに敏感な突起が反応して硬くなるのが分かった。
「んっ……」
 自分の口から漏れる甘い吐息に、脳が痺れる。
 脇の下へと手を滑らせる。アームカバーとジャケットの隙間、露出した脇の皮膚は信じられないほどスベスベしており、汗一つかいていない。まるで高級なドールのようだ。
 健は両手で自身のツインテールを掴んでみた。
 ずっしりとした重みがあるが、首への負担は不思議と感じない。髪の毛一本一本が光ファイバーのように微かに発光している。
「すごい……本物以上に、本物だ」
 彼はスカートを捲り上げ、鏡に向かって自身の秘部を晒した。
 白磁のような肌の間に、薄桃色の亀裂が恥ずかしげに隠れている。毛は一本もない。完璧に処理された、いや、最初からそのように設計された造形美。
 健は誘われるように、中指をそこへ這わせた。
 クリトリスと思われる部分に触れると、強烈な電流が背骨を駆け抜けた。
「あひっ!」
 あまりの感度の良さに、足から力が抜けてその場にへたり込む。
 人間の神経系ではないのかもしれない。直接、快楽中枢にデータを送信されているような、鋭くデジタルな快感。
「なにこれ……すごい、感度……」
 健は床に座り込んだまま、足をM字に開いた。ブーツの底が床を擦る。
 自分の指で、自分自身を慰める。かつて男だった頃には味わえなかった、全身が楽器になったかのような共鳴。
 指を出し入れするたびに、濡れた愛液が糸を引き、クチュ、クチュという水音が静かな部屋に響く。
「あ、あ、ミクの……声で……変な声、でちゃ、う……っ」
 鏡に映る自分は、頬を紅潮させ、涙目で快楽に溺れる初音ミクそのものだった。
 その光景がさらに健を興奮させる。俺は今、世界中の男が憧れる初音ミクのすべてを、誰よりも深く支配しているのだ。

 左腕のアームカバーに表示されたイコライザーが、心拍数の上昇に合わせて激しく赤く明滅し始めた。
 システム音声のようなものが、頭の中に響く。
『BPM上昇。興奮状態を検知。歌唱モードへ移行しますか?』
「歌……?」
 健は荒い息を吐きながら、本能的に口を開いた。
 歌うつもりなどなかった。しかし、喉の奥から勝手にメロディが溢れ出してくる。
 それは快楽の叫びでありながら、完璧なピッチとビブラートを持った、この世のものとは思えない美しい歌声だった。
 絶頂の瞬間、健の身体から青緑色の光の粒子が爆発的に広がり、部屋中を満たしていく。
 彼は意識が白濁する中で、自分がもはや人間でもプログラムでもない、新しい生命体へと生まれ変わったことを確信していた。
 電子の歌姫としての生が、この自慰という背徳的な儀式と共に幕を開けたのだ。