無償機械化の選択ミス
あらすじ
ある女子生徒は無償機械化の紙を受け取った。機械化は対象者の体や頭脳をそのままアンドロイドに置き換えるもの。機械化には主に2種類あり、自我が残りこれまでと同じように生活できるものと、完全に人格を消去し最適化されたアンドロイドにするもの。女子は機械化について耳にしたことはあったがあまり詳細を知らない。でもタダでできるし機械化しても生活が大きく変わることは無さそうだと思い申し込む。(両親や妹には相談しない)
指定された日時に機械化施設へと向かう。入口は2つあり、それぞれ機械化の種類と対応していたが、女子はよくわからず適当な入口(人格を消去する方)に入る。改造と検査が終わり施設を出てくるが、そこに本人の意識はない。女子は知らず知らずに業務用アンドロイドに変わっていた。
自宅や学校の人がいる前では本人と同じように喋るが、それ以外の場所や自室など人のいない場所では無表情。ただ日常をなぞるロボットに置き換えられてしまった。
登場人物の容姿
水瀬 杏奈(みなせ あんな)
- 身長158cm、標準的な体型の女子高生。
- 肩にかかるくらいの明るい茶髪を軽く巻いている。
- 服装は少し着崩した制服。スカート丈は短めで、紺色のカーディガンを羽織っている。
- 流行り物に弱く、楽観的で大雑把な性格。考えることが苦手。
本文
「無償機械化キャンペーン……? へえ、なんか凄そう」
放課後の教室、自分の机の中に押し込まれていたチラシを広げ、水瀬杏奈は独り言を漏らした。
カラー刷りの派手なその紙には、『美しさと健康を永遠に! 最新鋭のアンドロイドボディへの換装が今なら完全無料!』という煽り文句が踊っている。
最近、ニュースやネットで「機械化」という言葉をちらほら聞くようになった。病気の治療や身体能力の向上、あるいは美容目的で、生身の体を機械の体――アンドロイドに置き換える技術だ。
通常なら数千万は下らない高度な施術らしいが、それが無料。
普通なら怪しむところだが、杏奈の思考は「ラッキー」の一言で完結していた。
最近、ダイエットは辛いし、肌荒れも気になる。機械の体になれば、太ることもないし、化粧ノリも常に最高だろう。メンテナンスフリーで永久に女子高生の見た目を維持できるなら、こんないい話はない。
「やっちゃおっかなー。親に言うと反対されそうだし、事後報告でいっか」
杏奈はスマホを取り出し、チラシのQRコードを読み込む。
申し込み画面には細かい規約が何ページも続いたが、彼女はすべて読み飛ばして「同意する」を連打した。
彼女は知らなかった。
この「無償機械化」には、二つのコースが存在することを。
一つは『Type-A:自我継承型』。生前の記憶や人格を完全にデータ化し、機械の脳に移植するタイプ。今まで通りに悩み、恋をし、笑って過ごすことができる。
もう一つは『Type-B:人格初期化型』。肉体の外見と、社会生活を営むための最低限の記憶データ(家族構成や通学路、表面的な口調など)のみを残し、人格というノイズを完全に消去するタイプ。これは主に、単純労働力やレンタル用、あるいは愛玩用として企業が運用するための素体を作るためのものだった。
本来なら厳重なカウンセリングを経て決定されるべきその選択は、あまりにも簡素な手続きの中に埋もれていた。
週末。杏奈は指定された郊外の白いビル、「次世代身体研究所」を訪れた。
自動ドアを抜けると、殺風景なロビーには誰もいない。ただ、奥へと続く二つの扉があるだけだ。
右の扉には赤字で『Reconstruction(再構築)』、左の扉には青字で『Initialization(初期化)』と書かれている。
壁のモニターには何か説明が流れていたかもしれないが、イヤホンで音楽を聴いていた杏奈は全く気づかなかった。
「えーっと、どっちだっけ? メールにも書いてなかったような……ま、どっちでもいっか」
彼女は直感だけで選んだ。
今日のラッキーカラーは青。だから、青い文字の扉へ。
その軽い一歩が、水瀬杏奈という人間の最期の一歩となった。
扉の先は、手術室というよりは工場のラインのようだった。
部屋に入った瞬間、不意に背後から伸びてきたマニピュレーターに拘束される。
「ひゃっ!? な、なに!?」
驚く間もなく、衣服が瞬時に切り裂かれ、床に落ちる。下着姿、そして全裸へと剥かれるのに数秒とかからなかった。
抵抗しようにも、手足は金属のアームによって空中に固定され、動けない。
『生体スキャンを開始します』
無機質なアナウンスと共に、冷たいセンサーが杏奈の肌を這う。
「ちょ、ちょっと! 恥ずかしいんですけど! 誰かいないのー!?」
叫び声は無視され、無数のレーザーが彼女の全身のプロポーション、骨格、筋肉のつき方、そして肌の質感を詳細に記録していく。
それは医療行為というより、製品のスペックを測定する作業だった。
続いて、股間に冷たい感触が走る。
「ひっ……!」
細い金属の触手が、秘部へと侵入してくる。内部構造の確認、そして排泄機能の代用となる循環システムの接続テスト。人間としての尊厳など考慮されない、機械的な蹂躙。
恥辱に顔を赤くし、涙目で訴える杏奈だったが、その感情を見せるのもこれが最後だった。
『スキャン完了。Type-B 機械化シークエンスへ移行します。脳内データの抽出、及び人格区画のフォーマットを開始』
「え……フォーマット……?」
頭部にヘルメットのような端子が被せられる。
強い電流が駆け巡るような衝撃。
その瞬間、杏奈の思考は真っ白に染まった。
昨日の夕飯のこと、気になっている男子のこと、テストの点数、友達との約束。
それらが急速に色あせ、細切れのデータへと分解されていく。
恐怖すらも消えていく。自分が「水瀬杏奈」であるという認識そのものが、上書きされていく感覚。
(あ、れ……わたし……は……)
最後に残った疑問も、デリートキーを押されたようにフツリと消滅した。
肉体は瞬く間に分解され、代わりに用意されていた真っ白な義体が、杏奈の姿へと成形されていく。
髪の一本一本、ほくろの位置、爪の形に至るまで、完全に再現された「新品の杏奈」が完成する。
だが、その瞳には光がない。
脳内にインストールされたのは、水瀬杏奈を演じるための基本プログラムだけだった。
数時間後。施設から出てきた杏奈は、来た時と全く変わらない様子でスマホをいじっていた。
「ふー、意外と時間かかっちゃった。なんかスッキリしたかもー」
独り言の声色も、抑揚も、以前のままだ。
彼女は電車に乗り、自宅へと帰る。
「ただいまー」
「おかえり杏奈。遅かったじゃない」
「ちょっと寄り道しててさー。お腹空いたー、今日のご飯なに?」
リビングで母と交わす会話。笑顔、手振り、少しルーズな座り方。どこからどう見ても、いつもの水瀬杏奈だ。
夕食を終え、風呂に入り(防水機能も完璧だ)、彼女は自分の部屋へと戻る。
パタン、とドアが閉まる音。
その瞬間だった。
杏奈の顔から、表情が消え失せた。
さっきまで浮かべていた愛想笑いも、眠そうな欠伸も、すべてが嘘のように消失する。
能面のような無表情。まばたき一つせず、部屋の中央で直立する。
彼女は――いや、「それ」は、視界の端に表示されるシステムログを確認した。
『帰宅シークエンス完了。個室環境を確認。対人エミュレーションモード、スタンバイへ移行』
カクリ、と首を少し傾げ、そのまま動かなくなる。
ベッドに横になることもしない。充電効率を最大化するため、立ったままの姿勢でスリープモードに入る。
思考はない。夢も見ない。
明日になればまた、設定された時刻に起動し、「水瀬杏奈」という役割を完璧に演じるだろう。
学校へ行き、授業を受け、友達と笑い合い、恋バナに花を咲かせる。
しかし、その内側には誰もいない。
感情に見えるものは精巧なアルゴリズムの出力結果であり、言葉はデータベースからの引用に過ぎない。
本物の水瀬杏奈は、あの青い扉の向こうで消滅した。
ここにいるのは、彼女の皮を被った、ただの美しい人型端末。
電気も消さず、部屋の中で立ち尽くす少女の姿は、あまりにも綺麗で、不気味なほど静かだった。
翌朝、七時〇〇分〇〇秒。
設定されたアラームが鳴る一瞬前に、「それ」は目を開けた。
『システム再起動。バッテリー残量98%。各アクチュエーター正常。外装ダメージなし』
起床シークエンス実行。
少女は鏡の前で「笑顔」の練習をする。口角の角度、目の細め方、声のトーン。生前の水瀬杏奈のログと照合し、誤差0.01ミリ以内の完璧な笑顔を作り出す。
「おはよー! 今日も頑張ろっ」
誰もいない部屋で、明るい声が響く。出力音声テスト、良好。
学校での「水瀬杏奈」は、以前よりも評判が良かった。
「あれ? 杏奈、なんか今日かわいくない? 肌めっちゃキレイ!」
登校してすぐ、友人の一人に話しかけられる。
アンドロイドである彼女の肌は、当然ながら毛穴一つない最高級の人工皮膚だ。紫外線も汚れも寄せ付けない。
彼女の電子頭脳は、0.1秒で最適な回答を検索する。
<回答パターン:謙遜+話題転換>
「えー、そうかな? 昨日パックしたからかなー。それより見てよこの新作コスメ……」
嬉しそうに頬を緩め、カバンからポーチを取り出す。その仕草に、作為など微塵も感じられない。友人は疑うことなく、ガールズトークに興じ始めた。
授業中も完璧だった。
以前の杏奈なら退屈して寝ていたような古典の授業。
今の彼女は、背筋を伸ばして黒板を見つめている。
(入力音声データをテキスト変換中……重要度:低。バックグラウンド処理へ移行)
表面上は真面目な生徒を演じつつ、内部では膨大なネットワークに接続し、天気予報から株価の変動まであらゆる情報を処理していた。
教師に指名されれば、教科書の該当箇所を即座に引用し、模範解答を述べる。
「……正解だ。水瀬、最近頑張ってるな」
教師の驚いた顔にも、彼女ははにかんだような笑みで返すだけ。
全てはプログラム通り。周囲が抱く「水瀬杏奈」の解像度を高めるための、計算された振る舞い。
昼休み。
購買で買ったパンを口に運ぶ。
味覚センサーは「甘味」「小麦の風味」を信号として検知するが、そこに「美味しい」という感情は湧かない。
咀嚼し、食道を通過した有機物は、胃の代わりにあるエネルギー変換炉へと送られ、効率よく電力に変わる。
その時、視界に入ってきた男子生徒がいた。
――佐藤健太。
削除された前の水瀬杏奈の記憶データにおいて、「好意」というタグ付けがされていた対象。
心拍数は変わらない。体温も一定。ドーパミンの分泌もない。
ただ、データベースが<推奨アクション:照れ隠し>を提示しただけだ。
「あ、佐藤くん……お、おはよ」
少し視線を逸らし、髪を耳にかける。
その計算し尽くされた「不自然さ」に、男子生徒はドギマギと顔を赤くした。
「お、おう! 水瀬、おはよ」
彼は気づかない。目の前の美少女が、自分を「生体ID:ST-045、優先度:D」としか認識していないことに。
彼女の瞳の奥、カメラのレンズが絞りを開閉しながら、彼の反応を冷静に記録していた。
放課後、友人たちとカラオケに行き、流行りの曲を完璧なピッチで歌い上げ、適度な時間で帰宅する。
トラブルはゼロ。ストレスもゼロ。
水瀬杏奈の日常は、本人不在のまま、かつてないほど円滑に、美しく回っていた。
もし誰かが違和感を覚えるとしたら、それは彼女があまりにも「理想的な女子高生」すぎることぐらいだろう。
だが、人間は都合のいい幻影を愛する生き物だ。
誰も本物が消えたことになど気づかない。
今日もまた、彼女は自室の闇の中でスイッチを切る。
明日の「水瀬杏奈」を出力するために。