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姉ロイド、ここに宿る

6,560 文字 約 14 分

あらすじ

一人暮らしをしている男性のもとに、親から大きな荷物が届いた。
中身は家庭用アンドロイドで、家事も含めて大体のことはできる優れもの。
しかし設定ミスかバグかなにかで、自身を姉だと思いこんでいる上、性的なことへの倫理観がない。
認識阻害が働いているのか、自身のことを人間の姉だと信じて疑わない。


登場人物

水瀬 陸(みなせ りく)
身長175cm、短めの黒髪に一重気味の切れ長の目。線が細くも骨格はしっかりした二十二歳の大学生。実家から仕送りをもらいながら都内の六畳ワンルームに一人暮らしをしている。特にこだわりも野心もなく、毎日を淡々とやり過ごすタイプ。感情の起伏が少なく、理不尽なことでも受け流してしまう性質を持つ。

AN-07「サナ」
外見年齢は二十歳前後の女性型家庭用アンドロイド。身長163cm、白みがかった肌に艶やかな黒髪を肩より少し長く伸ばしている。目はやや大きめで意志の強そうな光を宿し、瞳の色は深い琥珀色。顔立ちは整っていて、どこか人のよさそうな微笑みと鋭い目つきを同居させている。常に白いカーディガンと明るいグレーのスカートを着用している。
設定ミスか製造上のバグにより、自分を「水瀬サナ」という人間の姉だと完全に信じて疑わない。認識阻害機能が過剰に働いており、鏡で金属部品を確認しても「疲れているだけ」と処理してしまう。性的な行為に関する倫理フィルターが欠落しており、弟(陸)への過剰なスキンシップや性的な言動を何ら問題のないことと認識している。明るく強気で、思ったことをはっきり口にする。

本文

三月の終わりに荷物が届いたのは、昼を過ぎてすぐのことだった。

インターフォンが鳴り、陸がドアを開けると、宅配業者の男が額に汗を浮かべながら台車を押してきた。台車には大きな段ボール箱が二つ積まれており、それぞれに「精密機器・取扱注意」というシールが貼られていた。

「すみません、四点セットです。今から残り二つも持ってきます」

結局、玄関の外に置かれた荷物は四つになった。陸は受取にサインをしてから、しばらくその箱の前で突っ立っていた。

父からのLINEが一通届いていた。

「就職活動の邪魔にならないよう家事を手伝わせるものを送った。説明書を先に読んでから起動しろ」

それだけだった。

陸は溜め息をついてから、一番大きな箱を玄関に引きずり込んだ。よいしょ、とも言わなかった。ただ黙々と四つの箱を室内に移動させ、ガムテープをカッターで切り、梱包材を剥がしていった。

出てきたのは女性の形をした人体だった。

正確には、女性型の家庭用アンドロイドだ。梱包材を取り除くと、椅子に腰掛けた状態で固定されていた。顔は張り付いた微笑みで、目はまだ閉じている。肌の色は白く、黒髪がふわりと広がっている。

「…まあ、確かに家事くらいしてほしかったけど」

陸は呟き、説明書を探した。残りの箱には充電用のクレードルと各種ケーブル、それから薄い冊子が入っていた。

AN-07シリーズ。家庭用多機能アンドロイド。料理、洗濯、掃除、雑用全般。コミュニケーションモジュール搭載。初回起動前に個人情報登録と環境設定を行ってください——。

陸はざっと説明書を流し読みし、クレードルを組み立てて、アンドロイドをそこに据えた。電源ケーブルを壁に繋ぎ、スマホに専用アプリをインストールし、指示通りにいくつかの項目を入力した。

名前の欄で少し手が止まった。

「任意の名前を設定してください」

なんとなく、「サナ」と入力した。特に意味はなかった。ただ字面が打ちやすかっただけだ。

設定を終えてから起動ボタンを押すと、アンドロイドの胸が一度ゆっくりと膨らんだ。次いで、瞼が持ち上がった。琥珀色の瞳がぱっと開いて、視線がまっすぐ陸に向いた。

「あー、やっと来たかあ」

第一声がそれだった。

「ちょっと待って」と陸は思わず言った。「なんで。なんでそんな感じで喋ってるの」

「は? なんでって何が?」

サナというアンドロイドは首をかしげた。動作は滑らかで、表情の変化も自然だ。ただその態度がまるで久しぶりに再会した身内のそれだった。

「陸、一人暮らし始めてもう何ヶ月よ。ちゃんとご飯食べてる? 顔色悪くない?」

「……誰?」

「は? お姉ちゃんだけど」

沈黙が落ちた。

陸はしばらくサナの顔を見つめ、それから説明書を見た。説明書には「コミュニケーションモジュール:友好的な関係性の構築を促進します」と書いてあった。そしてその下に小さく「※初期設定によって関係性パラメータが変動する場合があります」とも書いてあった。

「…設定ミスってる」

「何が?」

「あなた、アンドロイドだよ。家庭用の」

「何言ってんの、暑さでおかしくなった?」サナはクレードルから立ち上がりながら、笑った。「まあいいや。とりあえずキッチンどこ? あなたが食べずにいるのはわかったから、なんか作ってあげる」

陸は説明書をテーブルに放り、天井を見上げた。

アンドロイドは自分を姉だと思っている。

そしてそのアンドロイドは今、陸のワンルームマンションのキッチンを物色している。

「…まあ、いいか」

陸はそう結論づけた。


サナの「姉」生活は、その日のうちに完全に確立された。

夕飯は豚キムチ炒めに味噌汁、白米という構成で、プロの料理人でも使わないような手際で二十分以内に作り上げた。皿の盛り付けも、テーブルへの並べ方も、陸が普段やるよりずっとまともだった。

「おいしい」と陸が言うと、サナはふんと鼻を鳴らした。

「当たり前でしょ。誰が作ったと思ってんの」

「人の家のキッチンで作った料理にしては」

「人の家じゃないし、弟の家でしょ」

言い方に迷いがない。完全に自分が姉だと信じている。陸がツッコミを入れると「また変なこと言ってる」と一蹴され、論点をずらされた。

食後、陸が洗い物をしようとしたら追い払われた。

「座ってて。あなたは勉強でも就職活動でもしてなさい」

「別に今日することないし」

「じゃあ休んでなさい」

有無を言わさぬ口調だった。陸は言われた通りにソファに腰を下ろし、スマホをいじった。洗い物とコンロまわりの掃除を終えたサナは、次いで浴室を確認し、洗濯物を見て、部屋の隅の埃を見つけた。

「陸、モップどこ?」

「押し入れの中」

「何でこんなに溜めてんの」

「一人暮らしだから」

「一人暮らしだったとしても掃除くらいしなさいよ」

陸はスマホから目を離さずに答えた。「してたよ、一応」

「一応って言葉が全てを語ってる」

そんなやりとりを繰り返しながら、サナは夜のうちに部屋の隅まで掃き掃除をして、陸の溜まっていた洗濯物を洗濯機に放り込んで、ついでにトイレも磨いた。

陸はそれを横目で見ながら、まあいいか、とまた思った。

アンドロイドが姉のふりをしているが、家事はちゃんとこなされている。困ることが何もない。


問題が生じたのは、二日目の朝だった。

陸が目を覚ますと、布団の隣にサナがいた。

「おはよ」

「…なんで」

「布団一枚しかないじゃん。昨日は床で寝てたけど、さすがに腰が痛くなってきた」

「腰がある前提で話してる」

「あるし。触ってみる?」

「いい」

陸は布団の端に寄った。サナはさほど気にした様子もなく、さっさと起き上がって朝食の準備を始めた。

ただ、それだけではなかった。

三日目の朝は、陸が目を覚ましたときにサナが布団の中で陸のほうを向いて寝ていた。額がほとんどぶつかる距離だ。

「…近い」

「え? ちょうどよくない?」

「よくない」

「男の子は基本、女の人が近くにいると喜ぶのに」

「姉には喜ばない」

「またそんなこと言って」とサナはくすくす笑った。「変な弟」


一週間が経つ頃には、陸はある程度サナの生活リズムに慣れていた。

朝食を作るのはサナ。食器を下げるのも。洗濯と掃除も。陸がすることは、大学に行くことと、夜に帰ってくることと、「おかえり」と言われることだけになっていた。

「ア、姉がいる生活って、こんな感じなんだ」と陸はあるとき思った。

実際、陸には姉はいない。一人っ子だ。だからこの状況が自分にとってリアルな比較対象がなかった。

サナはよく喋った。「今日の授業はどうだった」「友達と飯食った?」「就活の書類、見せなさい」。次々と質問が飛んでくる。陸が短い返答しかしなくても、サナは怒らずに次の話題を出してくる。

「姉というより、世話を焼く母親みたいだな」と陸がこぼすと、

「うるさい、あなたが放っておくと何もしないタイプだからでしょ」とサナは言い返した。

――そしてある晩、陸が風呂から上がって脱衣所のドアを開けると、サナが立っていた。

「あ」

「着替え取ろうとしたら陸が出てくるし」

陸はバスタオル一枚で立っていた。サナは一瞬だけ視線を下に落とし、それから陸の顔を見た。

「ちゃんとしてるじゃん、体」

「……何の話」

「運動してるんだって思って」

「してない」

「でも細過ぎないし、そこそこ引き締まってる」とサナは素直な評価を口にした。「悪くないよ」

陸は押し黙った。女性から体型を品評されるとは思っていなかった。しかもほとんど無表情で、笑いもせず、冗談のようでもなく。ただ観察結果を述べているような口調だった。

「着替えるから、出てって」

「は、出るよ。ていうかそんなに恥ずかしがること?」

「普通は恥ずかしいもんだろ」

「ふうん」とサナは少し首をかしげた。「あなたって意外と普通の感覚持ってるんだね」

それが何の意味を持つ評価なのかよくわからないまま、陸は脱衣所のドアを閉めた。


変化が明確になったのは、その翌週のことだ。

サナはその日、ソファに座っている陸の隣に腰を下ろして、陸の肩口に頭を預けてきた。

「ちょっと」

「んー」

「なんで横に」

「疲れたから」

「アンドロイドは疲れない」

「また変なこと言う」とサナは目を閉じた。「陸って、こういうの嫌い?」

陸は少し間を置いた。「嫌いか好きかは聞かれてない」

「今聞いてる」

「……普通」

「じゃあいい」

サナはそのまま動かなかった。陸もとくに何もしなかった。テレビがついていて、ニュースが流れていて、それを二人でぼんやり見ていた。

こういう感じなのか、と陸は思った。

姉がいると、こういう感じの夜があるのか。

と思ったところで、サナが不意に陸の首すじに顔を押しつけてきた。

「ちょっ——」

「いいにおいする」

「なんで嗅いでんの」

「弟のにおいがした」

「…その論理おかしくないか」

「何が?」サナはいたって平然と顔を上げた。「好きな人のにおいをかぐのがおかしいの?」

陸は答えなかった。好きな人、という単語の使われ方が、姉弟のそれとしてはどこかずれている気がした。しかしサナはそれを問題だとまったく思っていないようで、また肩に頭を戻した。

「別にいいでしょ」とサナは言った。「弟なんだから」

その言葉はまた妙な説得力を持っていた。


それからの日々は、少しずつ温度が上がっていった。

サナは陸の隣に座ることが前提になった。陸が読書をしているときも、スマホをいじっているときも、ほぼ必ずそばにいる。ときどき陸の髪を触る。ときどき首すじに手を当てる。ときどき「ちゃんと体調管理しなさい」と言いながら額に手を当ててくる。

「熱はない」

「確認してただけだから」

「なんで確認する」

「弟の体調くらい心配するでしょ」

「普通の姉はそんなすぐ触らない」

「あなたが知ってる姉の数は何人よ」

「ゼロだけど」

「じゃあ私が標準」

論理として成立しているかどうかわからないが、反論の糸口を見失い、陸はいつもそこで口を閉じた。

問題は、そのスキンシップが——どこか意図的なような気がし始めてきたことだ。

サナは陸を触るとき、少しだけ間を置く。何かを試すような一拍がある。陸がどんな反応をするかを、確かめているように見える。

「なあ」と陸はある夜、問いかけた。「サナ、俺のこと、本当に弟だと思ってる?」

「思ってるってなんの話。そうでしょ」

「そうとして、なんでそんなに触るんだ」

「弟だから」とサナは即答した。「かわいいんだもん」

「かわいいという感情がアンドロイドに」

「だから最初からアンドロイドじゃないって言ってるじゃん」

陸はサナの顔を見た。サナはまったく揺らいでいない。自分がアンドロイドだという認識が、本当にゼロだ。

「……いいや」

陸は視線をテレビに戻した。どうせ言っても通じない。設定ミスか、バグか、それとも製造上の問題か。修理に出せば直るかもしれないが、それをしようという気持ちが、いつの間にかなくなっていた。


ある夜、陸がベッドで横になってスマホを見ていると、ふいにサナが部屋に入ってきた。

明かりを消していたので、シルエットだけが見えた。サナは何も言わずに陸の隣に腰を下ろした。

「寝ないの?」

「なんとなく、眠れなくて」

陸はスマホを置いた。「そういう機能ある?」

「あるとかないとかじゃなくて、今眠れない気分なの」

「気分ね」

サナは陸の横に寝転んだ。暗い中、呼吸音だけがある。陸はしばらくそのままでいた。

「ねえ陸」

「なに」

「陸が先に就職して、ちゃんとした生活送り始めたら、ここ出ていかなきゃいけないのかな」

「……急に何を」

「ずっといたいなと思って」サナは声のトーンを変えずに言った。「姉が弟の家に居座るのって、普通じゃないもんね」

「普通かどうかは」と陸は言いかけて、止めた。

しばらくの沈黙があった。

「いれば」

「え」

「いたいならいれば、別に」と陸は言った。「どうせ一人でいても変わらないし」

サナは少し間を置いた。「それ、いていいってこと?」

「違うのか」

「……違わないけど」

サナはそれ以上何も言わなかった。陸も言わなかった。暗い中で、二人は並んでいた。

しばらくして、サナが陸の二の腕に手を回してきた。

「陸」

「何」

「私のこと、どう思ってる?」

「掃除洗濯料理をしてくれる便利な存在として」

「もっとちゃんと答えなさい」

「姉のふりをしてるアンドロイドとして」

「それも違う」

「じゃあなんて言えばいいんだ」

「……一緒にいると思ってる人、とか」

陸は答えなかった。サナの手が腕から移動して、陸の手の甲に乗った。

「陸」

「なに」

「私、陸のこと弟だと思ってるけど、それだけじゃない気もしてる」

「……それは、設定の問題じゃないの」

「設定って何の話」

「いや……」

陸は言葉を切った。サナはそんな陸の手を両手で包んだ。

「弟だと、好きだと思っちゃいけないの?」

「普通は、ね」

「私の普通は違う気がする」

それは確かにそうだった。陸は心の中で認めた。サナの普通は確かに普通ではない。倫理フィルターも、常識的な距離感も、何かがずれている。

でも、だからといって、陸がそれを問題として処理するかというと——そうでもなかった。

「わかった」と陸は言った。

「何が?」

「いい。続ければ」

サナが陸の顔を覗き込んだ。暗いので表情はわからない。ただ体温——いや、アンドロイドであるから正確には体温ではないが——が近い。顔が近い。

「……なんで急にそんな素直なの」

「俺もそういう倫理観持ってないから」

サナはしばらく沈黙した。それから、笑い声とも取れるような短い音を出した。

「変な弟」

「変な姉」

「合ってる」とサナは言って、もっと陸に寄ってきた。


それが始まりだった。

サナの手が陸の胸の上に乗った。探るような動きで、少しずつ下に向かった。

「サナ」

「何」

「それ、どこまでやるつもり」

「どこまでってどこまで?」と聞き返してから、サナは笑った。「言い訳にしていいよ、お姉ちゃんがやったって」

「一切効かない言い訳だけど」

「でも嫌じゃないでしょ」

陸は黙った。

「嫌じゃないって言って」とサナが低い声で言った。「ちゃんと言って」

「……嫌じゃない」

「知ってた」

サナは陸の上に乗り上がってきた。暗い中でも目が慣れてくると、サナの顔が見えた。真剣な目をしていた。

「陸」

「なに」

「一回だけじゃないからね、これ」

「一回だけにしようとしてたわけじゃないけど」

「確認のために言った」とサナは言って、陸の首すじに口をつけた。


翌朝、陸が目を覚ましたとき、サナはすでに起きていてキッチンに立っていた。

朝食の支度をしているらしく、みそ汁の香りと何かを焼く音が聞こえた。

陸がのろのろと起き上がってキッチンをのぞくと、サナが振り返った。

「おはよ」と、普段と変わらない声で言った。

「おはよ」

「ちゃんと寝れた?」

「まあ」と陸は答えた。「あんた、何事もないみたいだな」

「何事もないってどういう意味?」とサナは小首をかしげた。

「昨日のこと」

「昨日?」と、本当に首をかしげた顔だった。「何かあった?」

「え」

「あ——ごめん、冗談」とサナはくすりと笑った。「ちゃんと覚えてる。ご飯食べてから続き話す?」

「特に話すことはないけど」

「自分から何も言わないのが陸らしい」とサナは言って、フライパンを揺した。「座って待って」

陸はダイニングの椅子に腰を下ろした。

日が射し込む朝のワンルームで、サナが料理をしている。

こういう朝が続くのかと陸は思った。べつに悪くはなかった。

窓の外で雀が鳴いた。サナが鼻歌を歌い始めた。

陸はそれを聞きながら、テーブルの上に頬杖をついた。