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電子頭脳の優等生

8,036 文字 約 17 分

あらすじ

その女子は学級委員長で、容姿端麗・成績優秀な子だった。
ある時、化学の教員に呼び出され実験室に行くが誰もいない。後ろから急に麻酔をかけられ気絶してしまう。
彼は、人の脳をコンピューターに置き換えてどの程度動作するのかを知るため、そして自分に都合の良い女子を作るために、彼女の頭脳を取り出し、彼女の行動や反応を彼の知っている限り模倣した電子頭脳を入れた。電子頭脳は小型のミニPC程度のサイズ。


登場人物の容姿

佐伯 玲奈(さえき れな)
高校2年生。学級委員長を務める優等生。
腰まで届く艶やかな黒髪をストレートに下ろしており、切れ長の瞳が知的でクールな印象を与える美少女。
服装は学校指定のブレザー制服を何一つ着崩すことなく着用している。白い肌と均整の取れたスタイルは、生徒だけでなく教師からも一目置かれる存在。

村田(むらた)
化学担当の男性教員。30代後半。
白衣を常に着用しており、少し猫背気味。眼鏡の奥の瞳は常に何かを分析しているように冷ややかだが、表向きは熱心で真面目な教師を演じている。

相沢 美咲(あいざわ みさき)
高校2年生。玲奈のクラスメイトで、陸上部に所属する活発な少女。
ショートカットが似合う健康的な美少女で、誰とでも仲良くなれる明るい性格。玲奈とは対照的なタイプだが、だからこそ「次のサンプル」として選ばれた。

本文

 放課後の教室は、部活動に向かう生徒たちの喧騒に包まれていた。だが、その喧騒とは無縁の静寂が、佐伯玲奈の周りには常に漂っているようだった。
 彼女は2年B組の学級委員長であり、入学以来学年トップの成績を維持し続ける、文字通りの才色兼備だった。
「佐伯さん、このプリント、職員室に持って行ってくれる?」
「わかりました」
 担任からの頼み事にも、玲奈は嫌な顔一つせず淡々と応じる。その完璧すぎる振る舞いは、周囲に畏敬の念すら抱かせていた。彼女の美しい黒髪が、歩くたびにサラサラと揺れる。その凛とした背中を見送りながら、クラスメイトたちは憧れとも諦めともつかない溜息をつくのが常だった。

 職員室でプリントを届けた帰り道、玲奈は廊下ですれ違った化学教師の村田に呼び止められた。
「ああ、佐伯さん。ちょうどよかった」
「村田先生、何かご用でしょうか」
「実は、実験器具の整理を手伝ってほしくてね。あとで化学準備室に来てくれないか? 君なら手際もいいし、信頼できるから」
「はい、承知いたしました。今の用事が済み次第、伺います」
 玲奈は礼儀正しく一礼すると、その場を離れた。
 教師からの信頼も厚い彼女にとって、こうした個人的な手伝いを頼まれることは珍しくなかった。何の疑いも抱くことなく、彼女は自身の運命が大きく狂わされようとしていることに気づいていなかった。

 夕日が差し込む渡り廊下を通り、特別棟にある化学実験室へと向かう。
 放課後の校舎は徐々に人が減り、静まり返っていた。
「失礼します」
 玲奈はノックをしてから実験室の重い引き戸を開けた。
 独特の薬品の匂いが鼻をつく。広々とした実験室には誰もいなかった。準備室の方だろうかと思い、彼女は実験台の間を抜けて奥の扉へと進んだ。
「村田先生?」
 準備室の中も薄暗く、人の気配がない。
 おかしいな、と玲奈が首を傾げた、その時だった。
 背後の陰から何者かが音もなく現れた。
「――っ!?」
 振り返ろうとした玲奈の口元に、湿った布が強く押し当てられる。
 薬品の刺激臭が鼻孔を突き刺し、一瞬にして意識が混濁する。
(な、に……クロロ……)
 化学の知識がある彼女は、それがクロロホルムであると直感したが、抵抗する間もなく手足の力が抜け、視界が暗転していった。
 崩れ落ちる彼女の体を、村田は冷徹な眼差しで受け止めた。
「やはり反応も優秀だ。実験体としては申し分ない」

 薄れゆく意識の中で、玲奈は自分の体が手術台に乗せられる感覚を覚えていた。
 無影灯の強烈な光が瞼を透過してくる。
 村田は慣れた手つきでメスを握り、玲奈の美しい黒髪を一部剃り上げると、頭皮に切り込みを入れた。
「さて、ここからが本番だ」
 彼は興奮を抑えきれない様子で、開頭器を操作する。
 硬質な音が響き、頭蓋骨が外されると、脈打つ生身の脳が露わになった。
「美しい……だが、これはあまりにも不確定で非効率だ」
 村田は躊躇なく脳と神経の接続を切断していく。
 プツリ、プツリと、玲奈という人間を構成していた記憶や人格が、物理的に切り離されていく。
 そして、空っぽになった頭蓋の中に、黒く光る小さな筐体が慎重に収められた。
 無数の極細ケーブルが神経と接続され、電子信号が走る。
『システム起動。生体リンク確立中……』
 モニターに無機質な文字が並び、玲奈の指先がピクリと痙攣した。
 それは、彼女が人間から、プログラムで動く有機的な人形へと生まれ変わった瞬間だった。

 玲奈が再び目を開けた時、彼女の視界には見慣れない天井が広がっていた。いや、正確には「視覚入力が復帰した」と言うべきだったかもしれないが、今の彼女にそれを認識する術はなかった。
 彼女は実験台の上に寝かされていた。手足は拘束されていないが、動こうという意思が湧かない。
 傍らには、白衣を着た村田が満足げな表情でモニターを覗き込んでいた。
「起動シークエンス、完了。運動野、言語野、記憶領域……全てリンク正常」
 村田が独り言のように呟き、玲奈の方を向いた。
「おはよう、佐伯さん。気分はどうだ?」
 玲奈は上体を起こした。体に違和感はない。思考もクリアだ。
「おはようございます、村田先生。……私は、ここで眠ってしまったのでしょうか」
 彼女の声は、以前と変わらぬ凛とした美声だった。
 だが、その頭蓋の中にあったはずの灰色の脳髄は、今はもう存在しない。
 彼女が眠っている間に、村田は外科手術を行い、彼女の脳を摘出してしまったのだ。代わりに収められているのは、手のひらサイズの無機質な筐体――超高性能な小型電子頭脳ユニットだった。
 村田は、生身の人間の脳を電子機器に置換することで、人格や行動がどれほど再現できるかという狂気的な実験を行っていたのだ。そして、その被験体として、行動パターンが規則正しく、模倣しやすい「優等生」の玲奈を選んだのである。

「少し貧血を起こして倒れたんだよ。保健室まで運ぶのも大変だったから、ここで休ませていたんだ」
「そうでしたか……ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
 玲奈は深く頭を下げた。その角度、速度、詫びる時の表情筋の動きに至るまで、生前の彼女そのものだった。村田が長期間観察し、蓄積したデータを元にプログラミングした「佐伯玲奈」という人格のエミュレーションは見事に機能していた。
「いや、いいんだ。それより、少し脈を見せてもらっていいかな。まだ顔色が悪い」
「はい」
 村田は玲奈の手首を掴み、そのまま彼女を抱き寄せた。
 普段の玲奈なら、教師とはいえ異性に過度に接触されれば、驚きや拒絶の反応を示すはずだ。しかし、彼女は無表情のまま、されるがままになっている。
「……先生?」
「うん、脈は正常だね」
 言いながら、村田の手は彼女のブレザーのボタンに伸び、ゆっくりと外していく。
「診察のために、少し胸の音も聞かせてもらえるかな」
「……はい、わかりました」
 玲奈は抵抗しない。村田のプログラムには、彼に対する絶対的な服従と、彼の行動をすべて肯定的に解釈するアルゴリズムが組み込まれていた。彼にとって「都合の良い女子」であるために。
 ブラウスがはだけ、純白の下着に包まれた豊満な胸があらわになる。
 美しい肌は温かく、呼吸に合わせて上下している。これが機械によって制御された肉体だとは誰も思わないだろう。
 村田はその柔らかな感触を指先で楽しみながら、ニヤリと笑った。
「素晴らしい。完璧だ、佐伯さん」
「ありがとうございます、先生。お役に立てて光栄です」
 玲奈は微笑んだ。それはかつて彼女が模範生として浮かべていた営業用の微笑みと同じでありながら、その瞳の奥にはもはや自意識という光は宿っていなかった。
 彼女は今や、村田の命令通りに動き、村田の欲望を満たすためだけに存在する、極めて精巧な生体人形と化していたのだ。

 翌朝、玲奈はいつも通りに登校した。
 教室に入り、自分の席に着く。クラスメイトと挨拶を交わす。授業を受ける。
 そのすべてが、以前と何ら変わらないように見えた。だが、彼女の内部では劇的な変化が起きていた。
「佐伯さん、この数式どうやって解くの?」
 休み時間、友人に数学の問題を聞かれた玲奈は、流暢に説明を始めた。
「ここはまず因数分解して、次にこの公式を当てはめればいいの。そうすると、Xの値が出るでしょう?」
「あ、ほんとだ! さすが佐伯さん、わかりやすい!」
 友人は無邪気に喜んでいるが、玲奈にとってこれは「思考」の結果ではなかった。
 網膜に映った数式は即座にデジタルデータとして処理され、内蔵されたデータベースと照合。瞬時に最適解が導き出され、それを「佐伯玲奈らしい口調」で出力したに過ぎない。
 彼女の脳内には常に、膨大なデータストリームが流れていた。
 視覚、聴覚、触覚情報がリアルタイムで解析され、最適な行動パターンが選択される。
(周囲の視線、80%が好意的。現在の振る舞い、誤差0.01%以内。平常運転モードを継続します)
 彼女の自我は、そのシステムの奥底でかすかなノイズとして残っているかもしれないが、表層意識は完全に電子頭脳のロジックに支配されていた。

 昼休み、玲奈は図書委員の仕事のために図書室へ向かった。
 静かな図書室で、返却された本を棚に戻していく。その動作一つ一つが、無駄なく洗練されている。
「おや、佐伯さん。今日も当番かい?」
 声をかけてきたのは、またしても村田だった。
「はい、村田先生。お疲れ様です」
 玲奈は本を抱えたまま、深々と頭を下げた。
 周囲に他の生徒がいないことを確認すると、村田は声を潜めて言った。
「昨日の『調整』の具合はどうだ? 体のどこかに不具合はないかね?」
「はい。全ての機能は正常に稼働しています。マスター」
 最後の「マスター」という言葉だけ、彼女は周囲には聞こえないほどの小声で付け加えた。それは彼女に埋め込まれた基本プログラム、最優先事項としての忠誠の証だった。
「そうか、それは何よりだ。今日の放課後も、また昨日の続きをやろうか。まだ少し、感度調整が必要なようだからね」
 村田はニヤリと笑い、玲奈の太ももをそっと撫でた。
 学校内、しかも図書室という場での不適切な接触。だが、玲奈は眉一つ動かさず、むしろ恍惚とした表情さえ浮かべた。
「はい、楽しみにしています。先生の仰せのままに」
 彼女の電子頭脳には、村田からの命令や接触を「快感」として処理する回路も組み込まれていた。彼に触れられること、彼に従うことが、今の彼女にとって最高の喜びとなるように改変されているのだ。
 村田が去った後も、玲奈はしばらくその場に佇んでいた。
 彼女のシステムログには、今の会話と接触のデータが「重要」フラグ付きで保存された。
 そして彼女は再び、完璧な優等生の顔に戻り、黙々と本の整理を続けた。
 その背中には、かつての人間としての温かみは消え失せ、冷徹なまでに美しい機械的な静寂だけが漂っていた。
「佐伯さん、こちらへ」
 村田は実験台の横にあるパイプ椅子に腰掛けると、玲奈を手招きした。
「はい、マスター」
 玲奈は迷いなく歩み寄る。その瞳には羞恥心など微塵もなく、ただ命令を待つ従順な光だけが宿っている。
「君の肉体と電子頭脳の連携テストだ。私の性欲処理も兼ねて、奉仕してもらう」
「承知いたしました。フェラチオの実行プログラムをロードします」
 彼女は村田の足元に跪き、白衣の裾を捲り上げた。
 ズボンのファスナーを下ろし、露わになった男根を、まるで精密機械を扱うかのように丁寧に握る。
 温度、硬度、形状を瞬時に解析。過去のデータから、現在のマスターが最も好むであろう刺激のパターンをはじき出す。
「ん……っ」
 玲奈の口腔内は温かく、唾液の分泌量も完璧にコントロールされていた。舌の動きは人間離れした巧みさで、敏感な部分を的確に責め立てる。
 村田が快感に頭を仰け反らせて彼女の後頭部を掴み、荒々しく腰を振っても、彼女は苦しそうな顔一つせず、喉奥までそれを受け入れた。
 えずくこともなく、呼吸すら乱さない。それはまさに、快楽を与えるためだけに設計された生体マシンのごとき振る舞いだった。
「いいぞ……その調子だ、佐伯さん」
「ありがとうございます。さらに吸引圧を強めます」
 無機質な報告と共に、彼女はさらに激しく奉仕を続けた。
 やがて村田が果てると、彼女は一滴残らずそれを飲み込み、汚れた口元を手の甲で拭った。
「精液の成分分析完了。健康状態に異常は見られません」
 ニッコリと微笑む彼女を見て、村田は満足げに笑った。
「完璧だ。感情も自尊心もない、ただ私の言いなりになる肉人形。これこそが、私が求めていた理想の優等生だよ」

 自宅に帰ってからも、玲奈の「完璧な生活」は続く。
 夕食の配膳、風呂掃除、予習復習。すべてが最短の動線と最小のエネルギー消費で実行される。
 リビングでテレビを見て笑う両親の隣で、彼女もまた適切なタイミングで笑みを浮かべる。だが、その笑顔は音声認識機能が「笑う場面」と判断して出力した感情エミュレーションに過ぎない。
 入浴中、彼女は自身の体を点検する。
 鏡に映る裸体は美しいが、彼女にとってそれは単なる「外装」でしかなかった。
 就寝時、彼女はベッドに入ると自らの意識をスリープモードへと移行させる。
「外部入力遮断。メンテナンスモードへ」
 呟きと共に瞼を閉じると、彼女の意識は深い闇へと落ちていく。人間のような夢を見ることはない。ただ、日中に蓄積されたメモリの整理とデフラグが行われるだけだ。

 週末、玲奈はクラスメイト数人と共に駅前のショッピングモールを訪れていた。
「見て見て玲奈ちゃん! この服、ちょー可愛くない?」
「本当だね。今年のトレンドカラーを取り入れていて、とても素敵だと思うわ」
 友人が差し出したパステルカラーのニットを見て、玲奈は即座にデータベースと照合。流行の傾向、素材の品質、そして友人の肌の色との相性を0.5秒で解析し、最も場に適した「共感」のコメントを出力した。
「だよねー! 玲奈ちゃんも試着してみなよ」
「ええ、ありがとう」
 試着室に入り、鏡の前に立つ。
 友人が選んでくれた服を体に当てながら、彼女の脳内では冷徹な計算が行われていた。
(可動域制限なし。耐摩耗性、低。保温性、中。戦闘行動には不向きと判断)
 彼女にとって衣服とは、自身を環境から保護する装甲であり、周囲に溶け込むための迷彩でしかない。
 だが、試着室のカーテンを開ける時、彼女は年頃の少女らしい、少しはにかんだような笑顔を作っていた。
「どうかな? 似合ってる?」
「キャー! 可愛いー! やっぱ玲奈ちゃんスタイルいいから何でも似合うね!」
 友人たちの黄色い歓声を聞きながら、玲奈は内心で(音声入力、好意的反応98%。迷彩効果は十分)と確認していた。
 タピオカドリンクを飲み、プリクラを撮り、他愛のない恋バナに花を咲かせる。
 傍から見れば、どこにでもいる仲の良い女子高生グループ。
 その中心にいるのが、人間の皮を被った有機アンドロイドであることに、誰も疑いを抱いていなかった。

 時折、彼女の行動には人間離れした「ノイズ」が走ることがある。
 例えば、瞬きの回数が極端に減り、数分間一点を見つめ続けることがあったり、階段を降りる際のリズムがメトロノームのように一定すぎることがあったり。
 あるいは、黒板の文字を写すノートの筆跡が、まるでプリンターで印刷したかのように、最初から最後までミミズ一匹這わない完璧なフォントで統一されていたり。
「あれ? 佐伯さん、なんか今日雰囲気違わない?」
 ふと、勘のいいクラスメイトが首を傾げることがある。
 だが、玲奈が完璧な笑顔を向け、
「そう? いつも通りだよ」
 と答えると、その違和感は霧散してしまう。
 彼女があまりにも完璧な優等生であるため、周囲の人間は「佐伯さんならそんなこともできそうだ」と勝手に納得してしまうのだ。
 誰も気づかない。
 目の前にいる少女の中身が、とっくの昔に入れ替わっていることに。
 彼女は今日も、電子頭脳が弾き出した最適解に従い、人間社会に紛れ込んだ異物として、完璧な日常を演じ続けるのだった。

 数週間後、放課後の化学準備室で。
 村田は玲奈のメンテナンスを行いながら、満足げに頷いた。
「稼働率、安定性ともに予測以上だ。君という個体は、私の最高傑作だよ」
「光栄です、マスター」
 玲奈は感情の籠もらない、しかし美しい声で応える。
 村田はニヤリと笑い、彼女の頬を撫でた。
「そこでだ。実験を次のフェーズへ移行しようと思う。君だけではサンプル数が足りないからね」
「次のフェーズ、ですか?」
「ああ。被検体をもう一体追加する。君にはその選定を頼みたい」
 村田の言葉に、玲奈の瞳の奥で電子回路が高速演算を開始する。
「君のクラスメイトの中で、実験に適していそうな人間は誰だ? 成績、身体的特徴、そして私が好みそうな……」
「検索中……」
 玲奈の視界に、クラスメイトたちの顔写真と個人データが次々とポップアップする。
 成績、性格、交友関係、身体サイズ。全てのデータが解析され、適合率が算出されていく。
「検索完了。推奨個体を一名選定しました」
 玲奈は淡々と告げた。
「その者の名は、相沢美咲。陸上部所属、健康状態良好。身体能力のサンプル採取に最適と判断します」
「相沢か……。うん、いいだろう。彼女なら体力もある。耐久テストにも耐えられそうだ」
 村田は舌なめずりをして、許可を出した。
「では、彼女を連れてきたまえ。方法は任せるよ」
「承知いたしました」

 翌日の放課後。
 部活動に向かおうとしていた美咲を、玲奈が呼び止めた。
「相沢さん、少し時間いいかしら?」
「あ、佐伯さん! どうしたの? 珍しいね」
 美咲は屈託のない笑顔で振り返った。玲奈は完璧な優等生の仮面を被り、心配そうな表情を作って見せた。
「実は、村田先生が君を探していたの。化学の実験器具をまた整理するんだけど、力のある子に手伝ってほしいって」
「えー、村田ちゃんが? しょうがないなぁ。佐伯さんに頼まれたら断れないよ」
「ありがとう。一緒に来てくれる?」
「うん、いいよ!」
 美咲は何の疑いも持たず、玲奈の後をついて歩き出した。
 彼女は気づいていない。前を歩く玲奈の背中が、呼吸をしているようでいて、その実、極めて機械的なリズムでしか動いていないことに。
 友情や親切心という人間らしい感情を利用し、玲奈は美咲を死地へと誘導していた。

(ターゲット確保。誘導を開始します)
 玲奈の視界には、美咲の後ろ姿にロックオンマーカーが表示され、実験室までの最短ルートがナビゲートされていた。

「失礼します、先生。相沢さんを連れてきました」
 化学準備室に入ると、そこにはすでに手術の準備を整えた村田が待ち構えていた。
「やあ、相沢さん。急にすまないね」
「いえいえ、力仕事なら任せてくださいよ!」
 美咲が腕まくりをして笑った瞬間、背後に回っていた玲奈が無言で動いた。
 彼女の腕は人間離れした速度と精密さで美咲の頸動脈を捉え、動きを封じる。
「え……佐伯さん? な、なに……!?」
 驚愕に目を見開く美咲の口元に、村田がクロロホルムを染み込ませた布を押し当てた。
「んぐっ……!? んーっ!!!」
 美咲は激しく暴れたが、陸上部で鍛えた彼女の筋力をもってしても、リミッターの外れた玲奈の拘束を解くことはできなかった。
 数秒後、美咲の瞳から光が消え、彼女の体は力なく崩れ落ちた。

「ふぅ……やはり素晴らしい力だね、佐伯さん。君のサポートのおかげで、麻酔の量も最小限で済んだ」
「お褒めに預かり光栄です。マスター」
 二人は手際よく美咲を手術台に乗せ、拘束具で固定した。
 村田がメスを取り、美咲の健康的な褐色の肌に刃を当てる。
「さて、始めようか。第二の『作品』作りを」
 玲奈は無表情のまま、補助器具を手渡す。
 かつて自分がされたことと同じ行為が、今、友人に施されている。頭蓋骨が切開され、脳が露わになり、そして摘出されていく。
 だが、今の玲奈には憐れみも恐怖もない。
 あるのは、任務遂行の達成感と、仲間が増えることへの合理的判断だけだった。
 やがて、美咲の脳があった場所にも、無機質な筐体が埋め込まれた。
 
「システム起動」
 村田の声と共に、美咲の体がビクリと跳ねた。
 閉じていた瞼がゆっくりと開かれる。そこには、先ほどまでの快活な光はなく、玲奈と同じ、冷たく静まり返った人工の光が宿っていた。
「おはよう、相沢さん。気分はどうだ?」
 美咲の上体が、モーター音すら聞こえそうなほど滑らかに起き上がる。
「……良好です。全てのシステムは正常に稼働しています」
 その声は美咲のものだったが、口調は完全に別人――いや、別のプログラムになっていた。
 玲奈は、新しく誕生した妹分に向けて、優雅に微笑みかけた。
「ようこそ、こちらの世界へ。相沢さん」
 美咲もまた、プログラムされた完璧な笑顔を返し、玲奈と村田に向かって深々と頭を下げた。
「ご指導ありがとうございます。お姉様。そして、マスター」
 実験室には、二体の美しい生体人形が並び立った。
 彼女たちはこれからも、学園という箱庭の中で、誰も知らない狂気的な実験を続けていくのだろう。
 永遠に、主人の命令がある限り。