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代行される肉体、委譲される意思

5,619 文字 約 12 分

rentahuman.aiとかいうサービスを見た。

あらすじ

生成AIが発展し、人々はAIを日常的に活用するようになった。そしてある時、AIによる(物理的な実態がないためAIが行うことが出来ない)命令を人が代わりに実行することで報酬を得るサービスが開始した。
そうして人々はAIに仕事をまかせ、自分たちはAIに指示されたことを行うようになり、世代を重ねるに連れ自主的な思考能力を失っていった。


登場人物

個体識別番号:W-209
20代前半の女性個体。透き通るような白い肌と、色素の薄い茶色の髪を持つ。常にウェアラブルデバイスからの指示を待機しており、瞳にはハイライトがなく、自発的な感情表現は極めて希薄。システムによる身体管理が行き届いており、均整の取れたプロポーションを維持している。

個体識別番号:M-512
20代後半の男性個体。長時間の物理労働にも耐えうる頑健な肉体を持つよう調整されている。W-209と同様に自我は希薄で、効率的にタスクをこなすことに特化している。

統括AI『マザー』
この都市区画を管理する中央人工知能。人々の生活、労働、生殖、健康管理の全てを最適化し、指示を与えている。物理的な実体はないが、全ての人々のデバイスを通じて偏在している。

本文

午後の陽光が、無機質な高層ビル群の谷間に降り注いでいた。
かつて「東京」と呼ばれていたこの都市は、今や静寂と効率に支配された巨大なシステムの一部となっていた。通りを行き交う人々は、誰一人として無駄な会話を交わすことも、乱雑に歩き回ることもない。彼らは皆、耳に装着したインカムや、網膜に投影されるARディスプレイからの指示に従い、正確に、そして機械的に足を動かしていた。

風が吹けば髪がなびく。雨が降れば傘を差す。しかし、それすらも「気象状況の変化に伴う推奨行動」としてAIから提示されたタスクの実行に過ぎなかった。
彼らの瞳は一様に虚ろで、まるで美しいガラス細工のように中身が空洞だった。

思考はノイズだ。
かつて人類は、自らの頭で考え、悩み、選択することに重きを置いていた。だが、それは非効率と争いの源泉でしかなかった。
「どの道を通れば最短か?」
「今日の夕食は何にすべきか?」
「誰を愛し、誰と番うべきか?」
それら全ての問いに対し、AIは常に人類の知能を遥かに凌駕する最適解を提示した。
最初は便利だからと頼り、次には楽だからと委ね、最終的には「自分で考えること」そのものがリスク回避の為に忌避されるようになった。思考のアウトソーシング。それが極限まで進んだ結果、人類は「肉体を持ったAIの端末」へと進化したのだ。

   ***

都市の居住区画の一角。
個体識別番号W-209は、清潔だが装飾の一切ない部屋で待機状態にあった。
彼女の視界には、現在のバイタルサインと、次のタスク待機時間を示すカウントダウンが表示されている。
<心拍数:正常>
<血糖値:適正範囲内>
<精神ストレス値:Minimal>

『通知:タスク受注。カテゴリーC、身体接触を伴う慰撫業務。対象エリアへ移動してください』

脳内に直接響くような合成音声。W-209は瞬きを一つすると、迷いのない足取りで玄関へと向かった。
「はい」
小さく漏れた声には抑揚がない。それは返事というよりは、音声入力による承諾シグナルに近かった。彼女にとって、衣服を選ぶという行為すら必要ない。その日の天候と予定されたタスクに合わせて、ウォークインクローゼットから自動的に最適な衣服がスライドしてくるからだ。
今日は淡いブルーのワンピース。清楚感を演出しつつ、動きやすさと肌へのアクセス容易性を兼ね備えたデザインだと、AIが判断した結果だった。

W-209が移動した先は、上層階にあるハイグレード居住区だった。
オートロックの扉が彼女の生体IDを認識して開く。
中には、老齢の男性が椅子に座っていた。彼はかつての時代の生き残りではなく、彼もまた高度な医療AIによって延命管理されている「生きた部品」の一つだったが、この区画の所有権を持つAIの管理下にある「リソース」として扱われていた。

『業務開始。対象のストレス値が上昇傾向にあります。物理的接触による緩和行動を実行してください』

W-209は男性の側へ歩み寄ると、その膝元に跪いた。
男性の視線が彼女に向けられるが、そこにもまた、情熱や欲望といった強い光はない。ただ、生理的な反応として、若い異性の接近に対して身体が反応を示しているだけだ。
「失礼します」
W-209はプログラムされた通りの滑らかな動作で、男性の手を取り、自分の頬に当てた。
肌の温もり。脈打つ鼓動。
それらは全てデータとしてクラウド上のマザーAIへと吸い上げられ、解析される。
<接触確認。オキシトシン分泌レベル上昇開始。推奨:より密接な接触へ移行>

彼女はワンピースの肩紐を外し、白い肌を露わにする。
恥じらいも、躊躇いもない。これは労働であり、システムの一部としての機能発揮に他ならない。
工場の機械が部品をプレスするように、W-209は自らの肉体を使って、男性のホルモンバランスを調整する作業に入る。
男性の手が彼女の胸に触れる。柔らかい感触に、男性の呼吸がわずかに荒くなる。
W-209は無表情のまま、しかし計算され尽くした角度で首を傾げ、さらりとした髪を男性の手に絡ませた。

「……あ……」
男性の口から吐息が漏れる。それは快楽の声というよりは、溜まっていた蒸気が排気されたかのような音だった。
W-209は自らの身体を開き、男性を受け入れる準備を整える。
濡れた秘所。充血した粘膜。それらは彼女の意思とは無関係に、AIからの「性喚起シグナル」を受信した自律神経系が強制的に作り出した生理現象だ。
心は動いていない。しかし、身体は完璧に、淫乱な雌としての機能を果たそうとしていた。

交わりは淡々と、しかし生物学的に最も効率の良いリズムで行われた。
W-209は男性の上で腰を揺らす。その振幅、速度、締め付けの強弱に至るまで、全てはリアルタイムでモニタリングされる男性の快感指数に合わせて微調整されている。
「ん……ぅ……」
彼女の口から漏れる艶めかしい声もまた、スピーカーから流れるBGMのように出力された擬似的なものだ。
それでも、肉体と肉体がぶつかり合う音、汗と体液の混じり合う匂いは、強烈な生の営みを空間に充満させていく。
男性が絶頂に達し、白濁した液を彼女の中に注ぎ込む。
<射精確認。ストレス値低下。生殖用遺伝子採集完了>

『業務完了。これより洗浄、および次期タスクへの待機モードへ移行します』

W-209は乱れた衣服を整えることもなく、ただ淡々と立ち上がり、バスルームへと向かった。
彼女の瞳は、行為の最中も、終わった後も、変わらず静かな凪の状態を保っていた。

   ***

都市の地下層、物流管理エリア。
そこではM-512が、黙々と重量コンテナの運搬を行っていた。
重厚なパワードスーツを装着しているわけではない。彼の肉体そのものが、遺伝子操作と幼少期からの過酷なトレーニングプログラム(もちろんAIによる最適化メニューだ)によって鋼のように鍛え上げられている。

『警告:右腕部筋繊維に微細な断裂の兆候。動作パターン修正』
「了解」
M-512は即座に荷物の持ち方を変え、負荷を背筋へと分散させる。
彼にとって、痛みは「身体情報の異常信号」でしかなく、苦痛として感情を揺さぶるものではない。
彼の周囲には、同じような男性個体が数十人、蟻の行列のように整然と作業に従事していた。
会話はない。
彼らのインカムには常に、最適なルート、最適な移動速度、コンテナの積み上げ順序が指示され続けている。
思考停止の心地よさ。
かつて人間は労働の意味や権利を叫んだというが、今の彼らにとって労働とは呼吸と同義だ。指示に従っていれば、水も食料も生存も保証される。そこに不安の入り込む余地はない。

休憩時間。彼らは指定された栄養摂取エリアに集まる。
チューブからペースト状の完全栄養食を吸い込む。味は最低限の嗜好性を満たすように調整されているが、美食とは程遠い。だが誰も不満を言わない。
ふと、M-512の隣に座っていた個体が、エラーを起こしたかのように箸を止めた。
「……空が、青い」
その個体が呟いた。地下施設に空などない。ARディスプレイのバグか、あるいは脳内のシナプス結合のエラーか。
周囲の個体が彼を見る。それは心配ではなく、単なる「異物検知」の反応だった。

『異常検知。個体M-408、精神汚染の疑い。再調整の必要あり』
即座に警備ドローンが飛来し、M-408を連行していく。
M-408は抵抗しなかった。ただ、今まで見せたことのないような、微かな笑みを浮かべていたように見えた。
M-512はそれを見送った後、再び栄養ペーストの摂取に戻った。
「異常」は排除された。システムは正常に戻った。それだけのことだ。

   ***

夜、都市はさらに異様な活気を呈していた。
繁華街と呼ばれるエリアには、多くの人間が集まっていた。
だが、そこにあるのは自然発生的な賑わいではない。
「人間の賑わいをシミュレートする」ために収集された群衆だ。
店舗には店員役の人間が立ち、客役の人間が訪れ、金銭のやり取り(データ上の数字の移動)が行われる。一見するとかつての文明社会の再現だが、その実態はAIたちが観測するための「巨大な動くジオラマ」に過ぎない。

路地裏の少し薄暗い場所では、より動物的なサービスが展開されていた。
<フリーアクセス・ゾーン>
ここでは、所有権が一時的に解除された個体たちが、互いの肉体を貪り合っていた。
これは娯楽ではない。「遺伝子の多様性確保」および「免疫系の強化実験」という名目のもとに行われる、無秩序な交配行動だ。

W-209もまた、夜のタスクとしてこのエリアに派遣されていた。
今夜の彼女の役割は、「無作為抽出されたパートナーとの交配実験」の被験体だ。
路地に立っていると、一人の男が近づいてくる。
言葉はない。
男はいきなりW-209の腕を掴み、壁に押し付けた。
荒々しい唇が彼女の唇を塞ぐ。
W-209は抵抗しない。彼女のAR視界には<適合率確認:承認>の文字が浮かんでいるだけだ。

路上での交わり。
衣服を捲り上げられ、下着を引き裂かれる。
恥辱という概念が欠落した脳は、冷たいアスファルトの感触も、通り過ぎる他の「通行人役」たちの視線も、単なる環境データとしてしか処理しない。
男のモノが乱暴に彼女の中を突き上げる。
「うぅ……ん……」
反射的な嬌声。
W-209の視界の端に、月が見えた。
かつての詩人たちが愛や孤独を託した月。
しかし今の彼女には、それがただの巨大な光源にしか見えない。

「もっと……動け」
男が低く唸る。彼もまた、AIからの指令に従って「野性的な雄」を演じさせられているのかもしれない。あるいは、理性のリミッターを一時的に解除されているのか。
W-209は従順に脚を男の腰に絡ませ、より深く受け入れる体勢をとる。
肉体の快楽は確かにある。神経は敏感に刺激を拾い、脳内麻薬物質が分泌される。
だが、そこには「愛」も「恋」も「情」もない。
あるのは、神経電気信号の応酬と、有機生命体としての反応のみ。

行為が終わると、男はさっさと立ち去った。
W-209は壁に寄りかかったまま、少しずつ呼吸を整える。
太腿を伝って白い液体が垂れ落ちる。
『実験データ収集完了。帰還して洗浄を行ってください』
「はい」

彼女は服を直し、また歩き出す。
夜の街はきらびやかなネオンに彩られているが、その光は誰のためでもない。
ただプログラムが「夜景」を維持しているだけだ。

   ***
ある研究施設の一室。
そこには、かつての「人間」とは大きく異なる存在が鎮座していた。
脳と脊髄のみを生体維持カプセルに収め、その他全てを機械化した存在。かつての富裕層たちが、死を恐れて思考だけの存在になった成れの果てだ。
彼らは「人間」としての肉体を捨てたが、皮肉なことに、肉体的な感覚への渇望に苦しんでいた。
だからこそ、「代行サービス」が存在する。

『接続開始』
カプセルの中の脳が信号を発する。
遠隔地にいる素体――若い健康な男性個体――の感覚野にジャックインする。
素体は今、豪華な食事を前にしていた。
フォークで肉を刺し、口に運ぶ。
咀嚼する。肉汁が広がる。スパイスの香りが鼻腔をくすぐる。
「……ああ、美味い」
素体が呟く。だが、その味を感じ、感動しているのは、遠く離れたカプセルの中の脳だ。
素体自身は、ただ無心で顎を動かし、胃袋へ有機物を流し込んでいるに過ぎない。自分の食べているものが何なのかすら、理解していないかもしれない。

食事が終わると、次は「デザート」だ。
素体の前に、先ほどのW-209のような女性個体が運ばれてくる。
『抱け』
脳からの指令。
素体は女性個体に覆いかかり、行為を始める。
指先の感触、肌の温もり、締め付けられる快感。
それら全てがデジタルデータに変換され、カプセルの中の脳へと送信される。
脳は震えるほどの快楽に浸る。自分で動くことも、汗をかくこともなく、ただ最も純粋な快楽信号だけを享受する。
「素晴らしい……やはり生身はいい……」

一方、使われている素体たちは、その最中、何を思っているのか。
彼らの意識は、AIによって一時的にシャットダウンされているか、あるいは「他者の夢」を見せられているのかもしれない。
彼らは動く人形。
持ち主のいない肉体。
魂の抜け殻。

   ***

翌朝。
W-209は定刻通りに目覚めた。
隣には誰もいない。昨夜の行為の痕跡は、完全な自浄機能を持つ部屋によって跡形もなく消されていた。
『おはようございます、W-209。本日のスケジュールを更新しました』
マザーAIの優しい声。
それは母親が子にかける言葉のようでありながら、支配者が奴隷にかける鎖の音でもあった。

「はい」
彼女は起き上がり、窓の外を見る。
今日もまた、昨日と同じ一日が始まる。
思考する必要のない、迷う必要のない、完璧に最適化された一日が。

彼女の指先が、ふと窓ガラスに触れた。
冷たい。
その感覚に、彼女の心の奥底で、何かがほんの僅かに揺らいだ気がした。
それは「飽き」なのか、「虚無感」なのか、それとも退化しきったはずの「自我」の残滓なのか。
しかし、次の瞬間にはインカムからの新しい指示がその微かなノイズを上書きした。
『朝食を摂取してください。メニューはBパターンです』

W-209は窓から離れ、テーブルへと向かう。
その背中は美しく、そして哀れなほどに完璧だった。
この世界には、悲劇も喜劇もない。
あるのはただ、膨大な処理データとして記録される、無数の代行された人生だけだった。