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あなたの代わりに

3,797 文字 約 8 分

あらすじ

ある日、友人から荷物が送られてくる。中には紙と紫色をしたスライム状の何かが入っている。(顔がついている)
どうにもこれはプレゼントで、癒やされるペット的なものらしい。何でも食べる。(洗う前の食器を渡せば、綺麗になって出てくる)


登場人物

橘 莉子(たちばな りこ)

本作の主人公。22歳の女性で、都内のワンルームマンションに一人暮らしをしているWEBデザイナー。やや猫背気味で細身の体型。肩のあたりで切りそろえた黒髪にうっすら茶色のカラーが入っており、前髪は眉の少し上で揃えたオン眉。目は二重で細いアーモンド型。化粧は薄めで、色白。仕事着はゆったりしたトップスとデニムパンツが定番。自宅ではスウェット姿が多い。几帳面な一面があり部屋は整頓されているが、仕事の締め切りが重なると食器がたまりがちな自覚がある。

田村 奈緒(たむら なお)

莉子の大学時代からの友人。現在は地方の実家に帰って暮らしている。明るく活発な性格で、SNSで珍しいものを見つけるのが趣味。長い茶髪をゆるくウェーブさせており、背は莉子より少し高い。今回のスライムを莉子に送りつけた張本人。

本文

 荷物が届いたのは、木曜日の夕方だった。

 莉子がノートパソコンの画面から目を離したのは、玄関のインターホンが鳴ったからだ。宅配業者のモニター越しの顔を確認して、慌ててスウェットの裾を整えながらドアを開ける。手渡されたのは、拳二つ分ほどの正方形の段ボール箱。差出人の欄には「田村奈緒」とある。

「奈緒から……?」

 莉子は首を傾げながら箱を受け取った。奈緒とは大学のサークルで知り合って以来、もうかれこれ四年の付き合いになる。地方に帰ってからも頻繁にメッセージのやり取りはしているが、突然物を送ってくることなど今まで一度もなかった。

 ダイニングテーブルの上に置いて、テープをはがす。梱包材の緩衝材をめくると、折り畳まれた一枚の紙と、小さな透明の容器が出てきた。容器の中には、紫色のゼリーのようなものがぷるぷると揺れている。

「……なにこれ」

 まず紙を広げた。奈緒らしい丸みのある字で、こう書いてあった。

莉子へ。最近忙しそうだからプレゼント! 癒やされるよ。なんでも食べてくれるから食器洗いが楽になるはず。育て方は難しくないから、あとはよろしく! 元気でいてね。奈緒より

 莉子はもう一度容器を覗き込んだ。紫色のゼリー状の塊は、容器の底でぷるんと震えている。よく見ると、表面に小さな丸い突起が二つあり、その下にへの字の線が一本走っていた。目と口のように見える。

「……顔がある」

 ぽつりとつぶやいた瞬間、への字がにたりと弧を描いた。

 莉子は思わず半歩引いた。心臓がどくりと跳ねる。しかし恐怖というより、驚きに近い感覚だった。目の前のスライムは攻撃的な様子はまったくなく、ただゆるゆると揺れている。容器のふたに小さな穴が開いているのを確認して、莉子はそっと容器をテーブルに戻した。

「……まあ、動物よりは世話が楽そうか」

 仕事が立て込んでいる時期が続いていて、植物でさえ枯らしてしまった莉子には、ペットを飼う余裕はないと思っていた。でもこれなら、と莉子はため息交じりに容器のふたを少し開けてみた。

 そっとテーブルの上に出すと、スライムは丸く広がったあと、またすぐに小さな丸い形に戻った。大きさはおよそ直径七センチほど。茶碗一杯分くらいだろうか。表面は朝露のように透き通っていて、紫の色は蛍光灯の光を受けると内側から光っているように見えた。

「なんていう名前にしようか」

 スライムはへの字の口をにたりと動かした。返事をしているのか、ただ揺れているだけなのかはわからない。でも莉子は少しだけ笑った。

「ムラサキ……いや、そのままか。じゃあ、スミレ」

 その夜、莉子は試しに夕食後の食器を差し出してみた。ご飯の残りがこびりついた茶碗と、醤油の跡が残った小皿。スミレの前にそっと置くと、するすると食器に近づき、表面を舐めるように広がった。数十秒後、引いていくとそこには水洗いしたのよりきれいな茶碗と小皿があった。

「すごい……」

 思わず声が出た。スミレはまたへの字の口をにたりとさせた。嬉しそうに見えた。


 スミレとの生活は、思いのほか馴染んだ。

 莉子は適当な陶器のボウルをスミレの住処にあてがった。日中はその中でじっとしていることが多いが、莉子が部屋にいる時間はコロコロとテーブルや床を移動して近くに来る。人懐っこいというか、存在感が妙にあたたかかった。

 食事は食器の残飯以外にも、冷蔵庫の野菜くずや果物の皮なども食べた。スーパーの袋から落ちていたにんじんの先を渡したら、特に喜んだように見えた。有機物であれば何でも食べるらしく、腐りかけていたものでも問題なく処理してしまった。

 「気持ち悪い」とは思わなかった。それより「助かる」が先に来た。仕事が忙しい日も、莉子はスミレに食器を渡すだけでよかった。三週間で卓上のゴミがほとんど出なくなっていた。

 奈緒にメッセージを送ると、すぐに既読がついた。

莉子「スミレ、すごく助かってる。ありがとう。どこで手に入れたの?」

 しかし返信は来なかった。既読のままだ。奈緒らしくないと思ったが、忙しいのかもしれないと莉子は深く考えないことにした。


 一ヶ月が経つころ、スミレが少し大きくなっていることに気づいた。

 最初は直径七センチほどだったのが、今は十二センチを超えている。陶器のボウルでは少し狭そうになってきた。莉子は料理用の大きめのガラスボウルに引っ越しさせてやった。スミレはぷよぷよとした体全体で揺れて、喜んでいるように見えた。

「食べ過ぎじゃないの」

 莉子が苦笑しながら言うと、スミレの口がへの字から逆へ——笑顔のような形になった。これが笑っているということはわかってきた。

 二ヶ月目に入ると、スミレはぼうると音がしそうなくらいの大きさになった。直径で二十センチ以上。猫一匹分くらいの体積がある。もう食器だけでは足りないのか、食べる量も増えてきた気がした。莉子は生ゴミをすべてスミレに渡すようにした。ゴミ袋が出なくなるのは嬉しかったが、一方で少し奇妙な気持ちも芽生え始めていた。

 スミレはよく莉子の足元にやってくるようになった。足の甲の上に乗ることもある。ひんやりと冷たくて、でもなぜか不快ではなかった。それどころか、仕事が煮詰まった夜に足元でぷるぷると揺れるスミレを眺めていると、妙に落ち着いた。

 問題は、奈緒からの連絡がまったくないことだった。

 最後に送ったメッセージへの返信は、今も来ない。電話をかけてみたが、何度かけても繋がらなかった。共通の友人に確認しようとしたが、奈緒のSNSのアカウントは更新が止まっており、最後の投稿は莉子にスライムを送った少し後だった。

 少し心配になって、奈緒の実家の番号に電話してみた。出たのは奈緒の母親だった。

「奈緒ならここにいますよ。元気にしています」

 声はいつも通りの柔らかい口調だった。莉子はほっとして「そうですか、よかった」と答えた。それ以上踏み込む理由もなく、電話を切った。きっと忙しいのだろうと思うことにした。


 三ヶ月が経った朝、起きてリビングに出ると、スミレがいなかった。

 ガラスボウルは空だった。莉子は首を傾げながら床を見回した。脱走するような生き物には見えなかったが、大きくなって入れ物が窮屈になったのかもしれない。棚の下、ソファの陰、キッチンの隅。どこにもいない。

 ふと、寝室のドアのほうから微かな気配を感じた。

 ドアはほんのわずかに開いている。昨夜は閉めて寝たはずだ。莉子はゆっくりと近づき、ドアをそっと押した。

 室内は薄暗かった。カーテンを通した朝の光だけが差し込んでいる。

 部屋の中央に、何かが立っていた。

 人の形をしていた。

 莉子は固まった。手足が冷えて、指先の感覚が消えた。立っているのは——女だった。肩のあたりで切りそろえた黒髪。うっすら茶色のカラーが入っている。前髪は眉のすぐ上で揃えたオン眉。白い肌。細い目。ゆったりしたスウェット姿。

 自分だった。

 鏡の前に立っているわけではない。なのに、そこにいるのは自分だった。

 女がゆっくりと振り返った。表情はない。ただ真っ直ぐに莉子を見ている。

 その目に、紫色の光がわずかに揺れていた。

「スミレ……?」

 声が震えた。女——スミレが形にした体——の口が、わずかに動いた。へのの字が、逆になった。笑顔。三ヶ月ずっと見ていた、あの笑顔。

 莉子は逃げようとした。

 足が動かなかった。

 気づくと、スミレが莉子の目の前に立っていた。距離が瞬時に縮まっており、近づく動作が見えなかった。それどころか、体の表面がゆっくりと溶けるように崩れ始めていた。人の形が崩れて、紫の光が広がって——莉子の手に触れた。

 ひんやりと冷たかった。

 いつもの、足元にいた時と同じ感触。でも今は、足元だけではなかった。あっという間に、腕まで覆った。胸まで来た。体が動かない。叫ぼうとしたが声が出ない。ただ、包まれていく感覚だけがある。冷たいのに、不思議と恐怖は薄れていった。眠気に似た何かに引きずられるように、意識が落ちていく。

 最後に見たのは、自分の顔だった。

 スミレが完全に人の形を取り戻して、莉子の部屋の中央に立っていた。

 そして莉子の目が、閉じた。


 その日の夕方、莉子のスマートフォンから一件のメッセージが送信された。

 宛先は、大学時代の同期、宮本あかり。

「久しぶり! 元気してる? 急なんだけど、ちょっとしたプレゼント送っても良いかな? きっと気に入ると思うんだよね。癒やされるペットみたいなやつ。食器洗いもしてくれるし、すごくかわいいよ」

 しばらくして、既読がついた。そしてすぐに返信が来た。

「えっ、なにそれ気になる! 送って送って!」

 莉子の部屋のリビングで、紫色のスライムが静かに揺れた。

 そのの字の口が、笑顔の形になった。